昨年、今年と立て続けに祖父が亡くなった。
思ったのは、
お葬式って残された人の悲しみをまぎらわすためにあるんだなあということ。
亡くなったその2日後くらいにもう式が催されて、
ほぼやったことのない式の幹事を担当し、
遠方から集まる関係者に頭を下げ、
夜はずっと亡骸のそばにいて…
って、悲しむ時間がそう無いね。
今年は、亡くなる1週間前、
まだ意識があるうちにおじいちゃんの顔をみれて
たぶん
おじいちゃんもそれを分かってくれたようで
お葬式は少し晴れ晴れとした気持ち。
あんまり悲しくなかったのは、
おじいちゃんきっと幸せな人生だっただろうな~
と孫なりに勝手に思っていたからです。
でも、やっぱり
人生の最後の方で
視力、聴力、体力、、、
と色んなものが次々奪われていくのはどうにかならないかなあ。
まあ、かといって
すごく元気な状態だったら
死にたくない!って思っちゃうだろうし、
だんだん だんだん、
心の準備や諦めやなんやかんや、
そういうもので死への恐怖をなくしていくのかも。
おじいちゃんが危ないという連絡を受け、
会いにいって
翌朝夜行バスで職場に出勤した朝のカフェラテ
おじいちゃんが亡くなって、
お通夜の翌朝
家族で食べたコメダのトースト
思い出と食べ物は
セット