年上という抗えない上下関係を盾に
ちくちくイヤミを言ってくる人とか、
あからさまに馬鹿にしてくる人という存在に
毎度もやもやしたものを抱えていたのだけれど
結局のところ、
皆心の底では自分以外の人間を馬鹿にしているのではないか
と思うようになってきた。
それを前述の人のように声に出して相手にぶつけるのか、
心の中に留めておくかの違いだけ。
人間は皆、自分の人生を生きている。
自分の育ってきた世界に沿った常識をもち、
その世界は生まれた人の数だけ存在する。
だから、自分と違う常識を差し出される方がむしろ当然で、
違和感の無い他者なんてこの世に存在しないのだ…
多分頭の良い人は
この他者に感じる違和感を
相手に投げてぶつけるのではなく
そっと胸にしまって閉じ込めるのだろう。
それは相手のためでもあるし、自分のためでもある。
ぶつけられると人は痛みに苦しむし、
痛みを与えてくる人を嫌いになるからだ。
年齢、立場、シチュエーション。
色んな力関係によって、
目に見えてへりくだる必要性というのは確かに存在するのだけれど、
その目に見えるものだけにあぐらをかいて痛みをぶつける人は
きっと相手の心の中で何度も殺されているね。
自戒を込めて。
コメント
わたしも含めて、他人を馬鹿にする人ってたくさんいるけど、そうじゃない人も確実にいて、そういう人に仕事でもプライベートでもわたしは救われてきたので、できれば自分もそういう人になりたいなぁと思います。あと時と場合と自分の精神状態と身体の疲れ具合によって同じ人に対しても馬鹿にしたり尊敬したりするので、人と生きるって難しいなぁと思います。
こなすさん
ものすごくわかります。
わたしは語彙力がないので、どう表現したらいいのかわからないけれど。
人間って育った環境が違うから完全に分かりあうのは無理だし、どっちが正解とかも無いな~ってよく思います!
他人を受け入れる器を大きくしておきたい。